「銅像とは、人間が「永遠」に憧れて創るものなのでしょう。人間という存在を、そして人間が作った歴史を、永遠に形に留(とど)めておきたいという野望のもと、人は金属で像を造る。だからこそ銅像という存在は、時にやっかいで、時に滑稽なのでした。過去の偉人が忘れられるスピードは、意外と速いもの。また時代状況が変われば、偉人はすぐに悪人となる。そうなった時に銅像が、人間の形をしているが故に格好の攻撃と揶揄(やゆ)の対象になるのは、イラクにおけるフセイン像引き倒しを見てもわかる通り。
著者が詳(つまび)らかにした日本銅像史と言うべきものと、現存・非現存を問わぬ数々の銅像の写真からは、そこはかとないユーモアがにじみ出ます。そのおかしみとは、どれほど無常の歴史を繰り返そうと、それでも永遠を求めてやまない人間が持つおかしみが、もたらすものなのでしょう。」
〈評〉酒井順子(エッセイスト)より 抜粋
