志賀直哉旧居特別講座 2018 白樺サロンの会(全 8 回) 概要
咲く花の薫ふがごとく奈良浪漫、逍遥、思索
時間 : 10時30分〜12時(一部、午後2時〜3時30分)
第1回《会津八一『南京新唱』の世界》日時:5月21日(月)10:30~12:00講師:柏木隆雄 大手前大学前学長 大阪大学名誉教授 |
明治初年の廃仏毀釈運動により、多くの寺が荒廃することになる。とりわけ奈良の古刹は甚大な影響を蒙った。折しも早稲田中学の英語教師であった会津八一は遠く奈良を訪れ、彼の愛する『万葉集』の世界が眼前にあり、しかも時には由緒ある古仏を僧自ら焚き物にする姿に暗涙を催す。大正13年の『南京新唱』発兌当初はほとんど顧みられない歌集だったが、今や古都奈良を巡る人たちの必携の書となっている。八一に私淑、親炙した吉野秀雄はまた新しい感性で奈良を歌った。二人の師弟の人と仕事を振り返って、奈良の古刹の魅力を再確認したい。 |
|
「民藝」という言葉は、柳宗悦が大正15 年1月河井寛次郎、濱田庄司と共に高野山西禅院に宿を取った時、生まれる。柳は、名もない日常の雑器に新たな美を見出して、無心の作にこそ、もっとも深い精神性が宿っているとし、「喜左衛門井戸」(大徳寺孤蓬庵)茶碗に作為を超える美の一世界をたしかめている。志賀直哉もまた「救世観音」(法隆寺夢殿)について「作者というものは全く浮んで来ない」と書く。柳と志賀のこの美意識について民族と世界の視点から、文化の固有性と文明の普遍性を交えて、考えてみたく思います。 |
|
志賀直哉は夏目漱石が追究した〈自己〉の問題を彼なりに引き継ぎ、それを問題化した作家であると考えています。では、直哉はその〈自己〉の問題をどのように漱石から受け継ぎ、どう発展させたのでしょうか。漱石文学の二つの大きな核となる思想である「自己本位」と「則天去私」の視点から、『佐々木の場合』を中心に直哉の作品を読み、考察してみたいと思います。 |
|
ノーベル文学賞を受賞した20世紀フランスの文学者で、『異邦人』、『ペスト』、『転落』などの小説で知られるアルベール・カミュは、劇作家・演出家でもあり生涯を通じて演劇人でした。1945年に初演された『カリギュラ』は、カミュの「不条理の連作」の一つに数えられる傑作戯曲であり、興行的にも大成功を収め、主役のローマ皇帝カリギュラを演じたジェラール・フィリップを一躍スターダムにのし上げました。カミュ研究者であると同時に劇作家・役者であり、演劇ユニット・チーム銀河を主宰する東浦弘樹がこの作品を文学と演劇の両面からわかりやすく解説します。 |
|
不易と思われながらも、社会の急激な変化に鋭敏に反応してしまうのが銅像である。戦時の金属回収で供出の憂き目に会い、それでは終戦で安息の地を得たかと言えば、連合国が眼を光らせる中で撤収される。それでも新たに格好の場所を獲得して屹立するかと思えば、また引き倒される。最近でも、アメリカにおける南北戦争関係の銅像撤収騒動は大統領のコメントまで寄せられ、北朝鮮では銅像ビジネスが外貨獲得の有効な手段となっている。旧時代の遺物の感を強く匂わせながらも、権威の象徴として生き続ける、そんなしぶとい存在に焦点を当てる。 |
|
子どもから大人まで誰もが楽しめる絵本。その絵本を構成する上で大きな役割を担う「絵」には、作者の様々な工夫や試みが込められ、高い芸術性を備えたものも数多く存在します。この講座では、奈良県立美術館で開催されている「ブラティスラヴァ世界絵本原画展BIBで出会う絵本のいま」の見どころを紹介するとともに、多様性に富んだ絵本の表現について解説します。 |
|
太宰治は、エッセイ「如是我聞」(『新潮』昭和23・3、5~7)の中で、志賀直哉への激しい批判を繰り広げています。そのように〈対立〉という形で志賀と縁のあった太宰治の「ろまん燈籠」(『婦人画報』昭和15・12、16・1、3~6)を取り上げます。この作品は志賀批判とは関係なく、ロマンス好きの5人兄妹が登場し連作で一つの小説を作り上げていきます。兄妹が書き継ぐラプンツェルの物語を追いながら、創作と典拠の問題を考えてみたいと思います。太宰の自在な物語のありようを楽しんでいただきたいと思います。 |
|
物理法則の中に、過去と未来を区別するものはなく、流れる時間という概念もありません。それにもかかわらず、なぜ我々は時間を過去から未来へ流れるものと認識するのでしょうか。古今の哲学者たちを悩ませてきた時間の矢の問題を、生命とイリュージョンという観点から探ります。
|